沖縄居候日記(1) 宮古島再々上陸
スギ花粉が飛ぶ頃になると、沖縄がおいでおいでと人を誘い出す。今年も、花粉症の相方が宮古島に避難生活を始める頃になった。昨年までは、相方一人で旅立って行ったのだが、波照間でボランティア活動をしている特派員を激励するために、当方も初めの2〜3週間ほどついていくことにした。要は、まだ石垣島に行ったことがなかったし、日本最南端の波照間島という魅力にも惹かれたのである。そう決まると、ボランティアをしている老人ホームへの差し入れも頼まれてしまった。
まずは、ベース基地のある宮古島に飛んで、久しぶりの島の生活を楽しむことにする。その後、新空港になったばかりの石垣に渡って最南端の島を目指すことにした。
2013年03月07日(木)
<羽田空港>
羽田なう。さて、これから南下します。
<那覇トランジット>
那覇なう。乗り継ぎ待ちである。外の気温は分からないが、建物の中は羽田空港の方が暑かったような気がする。羽田は暖房モード、こちらは中間期モード(冷房はしていないと思う)との違いだろう。
<宮古島>
宮古島なう。那覇に行く特派員と空港ですれ違いざまに車をゲット。最近、この島は朝の連ドラで有名なのだ。あまりTVを見ないので知らなかった。
<ナビレス運転>
夕食を食べてからスーパーマーケットに。日は落ちても暖かい。そろそろ長袖から半袖に着替えなくては。ところで、ナビも無く、キーレスエントリーでも無く、窓も手動の車にかなり戸惑ってる。自動化に慣らされた身体は、簡単には昔に戻れないものだ。(^^);
特派員の軽バンを運転すると、戸惑うことが多かった。一番困ったのは、ナビが付いてないこと。これで4度目の宮古島だが、3年のブランクで道路の記憶がかなり消えていた。また、最近はナビに頼りきったドライブしかしていないので、地図を頭に入れての運転にすぐに順応できなかった。まだオートマチックだったのが唯一の救いだろう。「技術の進歩は人間を退化させる」ということを身をもって感じる。
【追記】これを書き終えたら、「それは単なる老化現象でしょ」と至近距離からツッコミが入ってきた。^^);