つれづれ memo & feel

旅の記録と日常の出来事をメモする

沖縄居候日記(5) 3.11の記憶、そして西平安名崎


 3.11の東日本大震災から2年が経過した。地震の当日は、旅行先の伊勢市に居た。その日のことは、ブログに見ることができるが、地震直後のツイートを振り返って見た。ブロブよりもつぶやきを時間経過毎に見ていくほうが、その時の状況を生々しく思い出せる。朝食を終えて、それをやってみた。


 今日の昼食は、特派員お勧めのカレー屋さんを試しに行くことにする。そのあとの進路は西を目指し、突端を探索に行くことにした。また、その付近には、私はまだ行ったことがない、宮古島名物「雪塩」の製造工場があるというので見学をする。




2013年03月11日(月)
<3.11の記憶>

2年前の今日のことは、はっきりと覚えている。朝から伊勢神宮を巡って歩いていた。地震に気が付いたのは、街中に鳴り響く津波警報のサイレンを聞いてホテルに戻ってからだ。ネットに繋げて、地震情報のサイトを見て驚いた。サイレンの重大さが分かったのだ。

その時のツイートを探してみた。「さっきからサイレンが鳴っています。伊勢市でも津波警報が街中で出ています。M7.2と、大きな地震です。東京当たりは、震度3か4くらいでしょうか?やっとネットにつながって情報を集めてる」(2011年3月11日 - 3:43pm)

この時のツイートは地震の本震が襲った1時間後で、見たのは余震の情報だった。それでもM7.2と大きい。そのあと大阪に移動しようとするのだが、伊勢駅で足止めくった。津波警報が解除されないと電車が動かない。これは長期戦だと思い、なんの情報も無いまま駅のベンチで座っていた。

地震の巨大さと凄さを知ったのは、その夜にやっとのことでたどり着いた伊丹空港でだ。待合室のTVに写し出された被災地域の映像に衝撃を覚える。フライト情報に目をやると、ほとんどが欠航の表示で、それらは東北方面に関係するフライトだった。地震とそれに伴う津波の規模の大きさを暗示していた。

その夜から、TVからネットからと流れる情報に釘付けになった。福島原発が大きなダメージを受けたとのニュースを聞いて、今までにない不安を感じたのを思い出す。

東京に戻ったのは3日後。幸い建物などには被害がなかったが、人々の生活が変わっていた。食料調達に行くと、牛乳、玉子、ミネラル水、お米などがスーパーから消えていた。電池も無いようだ。TVからはCMが消え、お笑いもない。それに急に鳴り出すTVや携帯電話からの緊急地震警報に怯えていた。

準被災地である東京は自分の生活を守るということぐらいで、こんな状況だった。しかし東北の被災地では、命を守るという戦いが続いていた。そしてまだ続いている。やっと自分の生活を取り戻す段階になったばかりだろう。

TVを見ても、自分を振り返ってみても、被災地のことに思いを馳せる時間が少なくなってきたようだ。時々まだ鮮明な当時の記憶を振り返ってみて、被災地の早い復興を願うようにしよう。また時おり東北に行こうと思う。



<物干し竿>

物干し竿カバーを着けてお湯をかけた。上手く縮んで貼りついた。が、長て方向への縮みを計算しなかった。ビニールテープで補修しておこう。^^;



<カレーハウス>

特派員お勧めのカレーハウスにやって来た。席に座った途端、咳が出る。全席喫煙のタバコ臭い店だ。上手く換気をすれば良いのに。でも、ネパール人が作ってだけあって、カレーやナンは本格派の味でで美味しい。



<西平安名崎>

食後はいつものように腹ごなしドライブ。ちょっと足を伸ばして西の岬を目指す。風力発電宮古馬を横目に先端まで進む。最後は岩場を歩いて行く。
  

突端部までのブッシュと尖った岩場で、足にはかすり傷をいっぱいこしらえた。曇りがちの天気で、気温は夏日をちょっと下回った。



雪塩工場>

近くに雪塩の工場があるというので、見学に行く。私は初めての場所だ。

海に近い所に穴を掘って、琉球石灰岩を通ってくる海水を汲み上げる。自然のフィルターだ。それを濃縮して塩を取り出す。地下ダムといい、ポーラスな琉球石灰岩を巧く利用している。



池間島

ここまで来たら池間大橋を渡らねばと、池間島に行く。池間漁港で折り返して、橋のたもとの展望台へ。入口で、特派員の好物である紅芋揚げが目に入った。さっそくに味わってみる。

展望台のあと、砂浜にも下りてみた。日差しが強くなって影ができた。紅芋を入れて自分撮り。^^; 運転手が貝殻を拾っている間、しばらく砂浜に寝転がっていた。今日は晴れたり曇ったりでしのぎやすい。



<試乗>

帰ってから、タイヤに空気が入った自転車を試運転する。前に3段、後ろに8段のギアがある、24段変速だ。どう組合せたら良いのか手こずるし、サドルが硬くお尻が痛くなった。それより、階段で3階の部屋からの出し入れが一番大変であった。^^;