つれづれ memo & feel

旅の記録と日常の出来事をメモする

昭和的価値観をぶちこわせ

「3年で辞めた若者はどこへ行ったのか」(城 繁幸)を読んだ。
ここで言われる「昭和的価値観」にどっぷり浸かっている自分を見てハッとした。

確実に時代が変わりつつあること、多くの大人たちがいかに昭和的価値観にとらわれているのかと思う。
そして、社会の仕組みを変えなくてはならないとも・・。


この昭和的価値観については「はじめに」で要約される。

 ・・・お行儀の良い子はお決まりのように偏差値の高い大学を目指し、そのために塾や私学へ熱心に通う。入学後、そういった自律の日々を忘れたかのごとく呆けてしまう点でも横並びだ。そして彼らは、三年生の終わりに突然就職活動を開始し、誰にも言われたわけでもないのに歴史ある大企業の門戸を叩く。
(中略)
 しかも、その先に待っているのは、けしてエリートでもセレブでもない、ただの勤労者だ。同じようなスーツに身を固め、朝っぱらから電車に詰め込まれている人間たちを見れば、それがけして憧れるような生き方でないことくらいわかるだろう。
 それでも若者たちはその群れの中に飛び込み、やがてもの言わぬサラリーマンとなっていく。まるでベルトコンベアーに乗せられたリンゴのように。日本という国は、国土も人間も、やけに平面的なのだ。そんな国に住む我々日本人は、いくつもの価値観のようなものを共有している。
 ただ、共有される価値観のすべてが、普遍的、あるいは文化的本質に根ざしたものではない。というより、その時々の社会情勢が、必要に応じて生み出してきた行動規範のようなものだ。それに従うのが社会にとってもっとも都合が良く、その結果が個人にとっても「まんざら悪い話でもないから」という程度の話なのだ。
 現在、我々が拠ってたつ価値観のかなりの部分も、実はその多くが戦後五〇年の間に形成されてきたものであり、長い目で見れば”割と最近の価値観”だといえる。そこでそれらをひっくるめて、便宜上”昭和的価値観”と呼ぶことにしたい。



それらは、目次に具体化される。

昭和的価値観1「若者は、ただ上に従うこと」
昭和的価値観2「実力主義の会社は厳しく、終身雇用は安定しているということ」
昭和的価値観3「仕事の目的とは、出世であること」
昭和的価値観4「IT業界は3Kであるということ」
昭和的価値観5「就職先は会社の名前で決めること」
昭和的価値観6「女性は家庭に入ること」
昭和的価値観7「言われたことは、何でもやること」
昭和的価値観8「学歴に頼ること」
昭和的価値観9「留学なんて意味がないということ」
昭和的価値観10「失敗を恐れること」
昭和的価値観11「公私混同はしないこと」
昭和的価値観12「盆暮れ正月以外、お墓参りには行かないこと」
昭和的価値観13「酒は飲んでも呑まれないこと」
昭和的価値観14「フリーターは負け組だということ」
昭和的価値観15「官僚は現状維持にしか興味がないということ」
昭和的価値観16「新卒以外は採らないこと」
昭和的価値観17「人生の大半を会社で過ごすこと」
昭和的価値観18「大学生は遊んでいてもいいということ」
昭和的価値観19「最近の若者は元気がないということ」
昭和的価値観20「ニートは怠け者だということ」
昭和的価値観21「新聞を読まない人間はバカであるということ」
昭和的価値観22「左翼は労働者の味方であるということ」



若者へは「働く理由を取り戻す」という自覚も求めている。

では21世紀、どのような生き方が求められるのだろうか。一言でいうなら、自助の精神。つまり、組織やレールに頼らずに、自分の力でなんとかしろと。いうことになる。

と、自分のやりたいことをきちんと明確にして「レールのない世界を生きることの重要性」を強く訴えている。


政治の課題も大きいが、企業経営者が価値観を変える事も必須である。
例えば、雇用の流動化に対して、年功序列から実力主義へと制度を変化させる。大企業の賃金体系にある年齢給は廃止し、職能給にすべきという。

具体的には「労働者が適正な報酬を得られるシステム」を確立し、次世代をにらんだ利益配分システムを作り上げることだ。とかくと、既存労働者政党と何が違うのかと言われそうだが、かれらとしてはけして相容れない決定的な違いが一つある。というのも、本来受給3000円の人間を1000円でこき使うのは悪だが、時給1000円の仕事しかしない人間が3000円もらう事もやはり悪なのだ。この点を受け入れない限り、彼らは若者の味方でなく敵である。

と、対立軸は世代間こそに存在するという。


最後に、メディアリテラシーに関するところが興味深い。

21世紀のメディアの発展によって大衆は次の3つに分化すると言う。
(1)主体的に情報を選択し、判断できる情報エリート
(2)従来型の既存メディアに判断を任せる昭和型エリート
(3)多様化の波に乗り、既存メディアは手放すものの、主体的な選択までは出来ないネット流民

つまり、「まだ新聞を読んでいるような人は成功しない」と大前研一が言うように既存メディアの衰退とインターネットの進展によって情報にアクセスする態度が変わってきているのだ。


自分の子供らを含めて、これからの社会を背負う若者の事を考えると、「昭和的価値観」を壊して社会のもつ閉塞感をなくさなくてはと思う。
村上龍の本にある「この国には何でもある。だが、希望だけがない。」という言葉を聞いてもドキッとしないためにも。


最近読んだ以下のようなブログも、この本の内容に関連して思い起こされる。

 ■終身雇用という幻想を捨てよ - 池田信夫 blog

 ■雇用問題についてのまとめ - 池田信夫 blog

 ■On Off and Beyond: 海外で勉強して働こう