つれづれ memo & feel

旅の記録と日常の出来事をメモする

点は一つか二つかの「謎」よりも

最近まで、謎という字の中にある「しんにゅう」に点が二つあるのが本字であると知らなかった。
パソコンのフォントには、既に「2点しんにゅう」が実装されていると言っていた。


 早速、「なぞ」と打って変換してみる。
「謎」と表示されるが、点のところが小さくて判別できない。
 サイズを大きくしてみると、我がMacでは、点が一つしか無い。
 Macは、普通「Osaka」フォントである。
 そういえばと思い、「MS明朝」に変えてみる。
「2点しんにゅう」になった。
 さらに「ヒラギノ」系フォントは、「1点しんにゅう」であった。


常用漢字の改訂作業における話題をテレビで耳にしたので、調べてみた結果である。
今回新しく組み入れられる191字の中に「謎」があるので、「2点しんにゅう」が話題になっている。


通常使ってるフォントサイズでは、「しんにゅう」の点の数は認識できない。
個人的には、画数の多い文字では細かい部分は見えない。点の数がどちらであっても「なぞ」と読んでしまう。1点と2点で意味が違っても、文脈で判断するであろう。要は、どちらでも良い。


そのテレビ番組で井上ひさしさんが、「読み言葉、書き言葉に加えて、PCの発展による”打ち言葉”が漢字の使用を多くした」ようなことを言っていた。そういえば、読みさえ打ち込めばパソコン側で適当な漢字に変換してくれる。そして、自分の記憶に照らし合わせて意味の合う漢字を選ぶか、または、パソコンまかせの漢字で済ませてしまう。それで、書けない漢字が文章中に増えてきたのであろう。


難しい漢字を使えば教養があるように見えるだろうとか、ひらがなが多いと常識が無いと思われるのではという心理が働くのかも知れない。


あまり漢字が多いと文全体が「黒」くなるので、適当な量で済ませたいのだが難しい。
例えば(たとえば)、「有り難う」と「ありがとう」、「御座います」と「ございます」などどちらを使うかは、その時の気分になっている。


お手本にしたいと思っているのは、「天野祐吉さんのブログ」である。難しい漢字は使わないで、ひらがなで済ませている。それでいて、何ら違和感は無い。
漢字については、次のように言っている。

漢字をたくさん知っているとか、たくさん書けるとか、そんなことは「ことばの豊かさ」とは、別に関係はないんですね。と、思いますね。


書きたい字を書けないことより、書きたいことを書けない世の中のほうが困りものです。
かんけんぜんりじちょうらはいにんようぎ(2009-04-22)

全くその通りである。
と思うのであるが、書きたいことがあっても文章にならないもどかしさの方が大きい。

ところでことの発端に戻すと、なぜ常用漢字を見直して更に増やすのでしょうか。
その前に、常用漢字そのものが必要なのか?
文化庁のHPから常用漢字表の「前書き」を見ると、

1.  この表は,法令,公用文書,新聞,雑誌,放送など,一般の社会生活において,現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安を示すものである。
2.  この表は,科学,技術,芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない。
3.  この表は,固有名詞を対象とするものではない。
4.  この表は,過去の著作や文書における漢字使用を否定するものではない。
5.  この表の運用に当たつては,個々の事情に応じて適切な考慮を加える余地のあるものである
国語施策情報システム

「漢字使用の目安」であり「個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない」のである。
また、新聞社などには、漢字を使う独自の規定があると聞いている。


先の、天野祐吉さんの言葉を借りると、

まず第一に、いまなぜ常用漢字をふやす必要があるのか。よくわかりません。
いろんなところから、いろんな要望があるんだろうから、増やすんなら増やすでいい。
げんに、こういう漢字は使えるようにしたほうがいいと思うものもあります。
が、それならそれで、増やすことになった事情の具体的な説明をちゃんとしてほしい。
お前たちシロートはどうせわかんないんだから、専門家にまかせておけって顔が気に入らない。


第2に、増やすにしても、どうしてこの字なのか。そこがよくわからない。
「恣」なんて字より「嘘」という字を復活したほうがいいとぼくは思うのですが、なぜ「恣」なのかの説明もない。
「恣」に限らず、191字の1字1字について、なぜこの字を増やすのか、簡潔な説明をしてほしいわけで、
その説明がなかったら、なにか言えなんて言われても言えないじゃないか。


だいたい、省庁の役人のやり方って、こうなんですね。
本当は国民の意見なんか、聞く気がないの。そのくせ、口先だけは、「広く国民の声に耳を傾け」なんて言う。ホンネは、さっさと片付けたいんです。救い難い形式主義
・・・・中略・・・・・


ぼくが言いたいのは、常用漢字の増えることで、日本語の表現が豊かになるのならいい。でも、逆に貧しくする危険もあるんじゃないか、ということです。
こんな漢字はいらない?



どこかの省庁と同じで、天下り先の都合とやらが関係するのではと勘ぐりたくなる。