つれづれ memo & feel

旅の記録と日常の出来事をメモする

人にとって幸せな医療とは

「日本でいちばん幸せな医療」(泰川恵吾)を一気に読んだ。
日本でいちばん幸せな医療


この本で、今の日本に必要な医療、いや医者というものが分かったような気がする。
都会と田舎(離島)、どちらに幸せな暮らしがあるのだろうかと問いかけられた。
都会の医療にどっぷり浸かっていると見えない、本当の医療というものを考えるヒントを貰った。


訪問診療を始めた切っ掛けに、こんなことが書いてある。

・・風邪でも外傷でも、体調の悪い患者本人が動いて受診しなければならない既存のシステムは、普通に考えれば、ニーズに合ったサービスとは言えない。特に、高齢者や重症患者であれば、通院は更に困難になる。

なるほどそうだ。
生まれてからこれまで、風邪などにかかり高熱で身体が軋んでいても、なんとか頑張って病院まで行った。これが当たり前だと思ってそれ以上を考えたことがなかった。


これは、「目から鱗」的な発想の転換であるし、当然のことといえばしごく当然でもある。
一つの病院に大勢の患者が集まっている。長時間の診療待ちで思考停止している患者から「訪問診療」は思いつかない。もし思いついたとしても、それは夢物語であり、とっくに諦めている。


患者の視点から離れて、ちょっと俯瞰してみると・・。
通院困難な患者だけを対象にすれば、できないことでもないな・・。
要は、効率化によってコストを最小化するというシステム設計の課題を解くことであろうと。


『「完全に看取る」ということ』という章の中に、救急救命医から離島の訪問診療医に姿を変えた一番の理由ととれる、医者としての姿勢が書かれている。著者の理想とする"幸せな医療"も、ここが原点なのであろう。

 ・・人間というものは、生き物である以上いつかは死ぬのだから、生きている以上、いつかは終わりがある。その意味では、救命といっても所詮は延命にすぎないのだ。問題は、その延命がどれくらいの時間であるか、つまり、数時間なのか、数日なのか、あるいは数十年なのか、ということと、死亡するまでの残された時間に、どんな生涯を送るのかということである。
 医者が、技術者として生死の狭間で手助けをしてあげられることは、実はたくさんある。すぐに死なないように、その場を切り抜けるための救命技術や、その後必要な期間、生命を維持するために必要な技術を提供することも、その手助けの一部である。しかし、それだけではない。最後の看取りを介助し、本人が満足するよう、みんなが心から泣けるように、冷静に場の空気を保つことも、医者の技量の一部である。



これから歳を重ねるにつれて医療との付き合いが多くなるのだろうが、できればこんなお医者さんと出会いたいと願っている。