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国にだまされないためには

「だまされないための年金・医療・介護入門」(鈴木 亘)を読んだ。細部では難しく分からないところもあったが、おおよそのことは理解できた。読んですぐに思ったのは、まず若い世代が読むべき本だろうということだ。日本の社会保障(年金、医療保険介護保険)の成り立ちと、政治家と官僚による近視眼的な視野と杜撰な管理によって積み残された世代間不公平が良く分かる。
だまされないための年金・医療・介護入門―社会保障改革の正しい見方・考え方


Wikipediaで「社会保障」を引いてみると、『本来は個人的リスクである、病気・けが出産・障害・死亡・加齢・失業などの生活上の問題について貧困を予防し、貧困者を救い、生活を安定させるために国家または社会が所得移転によって所得を保障し、医療や介護などの社会サービスを給付すること、またはその制度を指す』とある。一言でまとめると、国が強制的に行う「社会保険」ということでしょう。


そして、本書にある保険の原則を、まず頭に入れておかなければならない。

「保険」ですから、結果的に、給付を受ける人と受けない人が出てきますが、そこに不公平という問題は存在しないということです。

しかし、年金を考えると良く分かるのだが、

保険という原則からは、社会的保証制度は、予期できる年齢リスクには「積立方式」で備えておくことが当然であり、リスクの異なる年齢間の人々に所得再配分を無理強いする「賦課方式」で運用されることは、「保険の原則」に反することです。

つまり、現状の下の世代が上の世代を見る、つまり世代間の所得移動が行われる「賦課方式」は、原則的に否であり、世代間の不公平の要因になる。人口構成がピラミッド型の時は良いが、逆の少子高齢化になると不公平は大きくなり、その先には破綻が待っていることになる。


日本の年金は、もともと自分たちの現役時代に積立てた保険料をその世代の年金原資とする「積立方式」でスタートしたのだが、

積立方式から賦課方式に移行していったのです。その理由は、まず第一に、歴史的負債に対する追加負担の保険料率引き上げを怠ってきたこと、第二に、経済成長をする中で保険料率を低く据え置いてきたこと、第三に、給付水準を保険料見合わないほど安易に引き上げた・・・
特に第三の給付水準の引き上げは、すでに少子高齢化が進行しつつあった1970年代始めからまさに「大盤振る舞い」と呼ぶべき状況になってしまいました。時の首相は田中角栄ですが、1973年を福祉元年と位置づけ、社会保障の安易なばら撒きが行われました。・・・いずれも甘い経済見通しの下で、十分な保険料負担を伴わないまま実行されました。

と、人口のピラミッド型が崩れようとしている中で「賦課方式」に移行して「大盤振る舞い」をしたのである。


この「賦課方式」を再び世代間不公平を是正する「積立方式」に戻すには、政治的障壁が高いので戻し難いと言う。

政治家の大盤振る舞いや官僚の無駄遣いによって失われた積立金を、もう一度、国民が追加の負担をして元に戻さなければなりません。・・その責任を問われる政治家や官僚が、積立方式への移行に反対するのは、当然と言えば当然のことです。
・・・
くわえて、若者は投票率が低く、高齢者は投票率が高いということも、政治家が、現在の高齢者たちの既得権や利益供与のために行動する合理的な動機となります。

現在においてもこのような政治が官僚も含めて継続されており、改革が進んでいない状況です。

社会保障の現状や、現在行われている改革論議を語る上で共通するキーワードは、やや言葉が過激ではありますが、「現在の高齢者への既得権保護・利益供与」、「先送り主義」、「情報操作」、「本質的ではない論点へのすり替え」だと私は思っています。



医療保険介護保険も同じような「賦課方式」になっていて、世代間不公平はますます広がっている。それ以外にも、「措置」といえる暴力的な政策手段・規制が医療・介護サービスの質を低下させているなどの問題がある。それには、規制を少なくして「市場メカニズム」による効率化を促すなどの方策が必要としている。この辺りについては、複雑な様相があり、詳しくは本書を見て頂きたい。


最終章に、「積立方式」に戻す改革案が述べられており、どれも過去の清算を必要とするため国民の痛みを伴います。しかし、後の世代に不公平を残さない、それ以上に社会保障を破綻させないことが重要なポイントであると述べられています。

映画監督の伊丹万作氏の言葉を最後に紹介して、本書は終わっています。

  多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えて
 だまされていたという。私の知っている範囲ではおれがだましたのだといっ
 た人間はまだ一人もいない。
 (中略)
 「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任か
 ら解放された気でいる多くの人の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国
 民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
  「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何
 度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ
 始めているにちがいないのである。
                 (伊丹万作「戦争責任者の問題」より)



これまで本書の内容をたどたどしくなぞってきたが、この一文を紹介したくてここまで書いたのかもしれない・・・