つれづれ memo & feel

旅の記録と日常の出来事をメモする

旅の終わりは大地震・熊野古道(伊勢路)を歩く(7/7)

さてさて、この旅のブログも最後のページになりました。この日は、朝から「やり終えた」という充実感に満たされていた。その気分も、午後に聞いたサイレンから徐々に重っ苦しさ変わっていく。


最終日は、伊勢市をウォーキングしながら神社をめぐり、夜のフライトで大阪空港に到着する娘を出迎えるという計画である。まずは、夕方近くまでゆっくりと伊勢神宮を参拝する。もちろん、すべて歩いて回る。もう山道は無いし、両肩に掛かっていたリュックはホテルに預けたので、気分はいつもしている散歩のそれだ。


頭の中に、伊勢神宮外宮、猿田彦神社伊勢神宮内宮、月読宮と主だった目標を決めて歩き出す。大阪の実家から猿田彦神社のお守りを頼まれていたので、そこだけは欠かせない。


■2011年03月11日(金)

おはよう。これからお伊勢さん詣でに向かいます。脚の張りも減り、今日は平地なので、いつもの散歩と一緒。天気よし、しかし、気温は下がってるようだ。
posted at 09:29:53

20210311122735

今日の課せられたノルマは、猿田彦神社でお守りを買うこと。昨夜も、南方から指令が入って、個数が増えた。あと、伊勢神宮でおみくじを引くこと。これまで、天候にも人にも恵まれて、運気を使い果たしたようだから、どうだろうか?
posted at 09:36:23

(このつぶやきに対して、どこかの親切な方から「伊勢神宮にはおみくじはありませんよ」ってリプライが入った。)

さて、荷物をホテルに預けて行くべか。これでますますいつもの散歩スタイルになる。いつもの買い出し袋も持っている。(^^) ところで、徐々に関西弁が出るようになっている。では、行ってきまっさ!(だっけ?)
posted at 09:42:38

20210311122727



伊勢神宮参拝>
伊勢神宮外宮に向かう。近づくに連れて人が多くなる。といっても、東京の日曜の公園ぐらい。昨日までの状態から比べると、久々に都会に出てきた仙人のような感じである。



外宮を出て歩いていると、横目に豊川茜神社の何重にも重なる鳥居が見えた。外宮と違って、人の気配は無い。興味をそそられ入ってみると、狐がワンサカ出迎えてくれた。



神社を出てしばらく大きな道に沿って歩いていく。久しぶりの排気ガスが鼻を突く。裏道はないかと探しているうちに猿田彦神社についた。土産の依頼人に電話をして、お守りの色と個数を聞く。



次は、伊勢神宮内宮だ。あと二年で、20年の周期で行われる遷宮の年になる。



ちょうど昼飯時になった。おかげ横丁に入って、物色する。伊勢うどん、釜飯、・・これでいいやと釜飯屋に入る。



猿田彦神社辺りに戻ると、雨になった。少し雨宿りをする。

雨がパラついてきた。もう少し猿田彦神社で雨宿り。
posted at 14:03:53

20210311122739



雨も小止みにになったので、月読宮に。





14時46分、日本を揺るがす未曽有の災害の始まりです。
(右図は【(財)地震予知総合研究振興会】から)

ちょうど神宮美術館あたりを歩いていると、遠くの方からサイレンが聞こえてきた。消防車のそれでなく、その後に何か言葉が続くのである。連続して、鳴り止まない。耳をすまして聞き取ると「津波警報」という単語が聞き取れた。どこかで地震でもあったのかと、ホテルに向かって行った。


荷物を受け取ったついでにフロントで、「どこかで地震でもあったのですか?」と聞くと、「東北らしいですよ、ここも少し揺れました」と。え、和歌山でも揺れを感じる!こりゃでかいな、と思って早速ネットに情報を探した。

さっきからサイレンが鳴っています。伊勢市でも津波警報が街中で出ています。M7.2と、大きな地震です。東京の揺れは、震度3か4くらいでしょうか?やっとネットにつながって情報を集めてる。
posted at 15:43:34

20210311122731

これが、この旅の最後のつぶやきです。


振り返ってみると、この時見た震度分布図は本震後の余震のものである。揺れの範囲は広いが、最大震度4くらいだから「まあたいしたことはない」と思っていた。しばらくtwitterを見ていると「揺れたねー」という文字が目に入ってきた。これで東京にいる息子の無事が確認できた。他の家族は、沖縄に居るので心配はない。


宇治山田駅に行くと、様子がおかしい。アナウンスで電車が止まっていると叫んでいた。改札の駅員に聞くと、津波警報が出ている間は隣の五十鈴川駅から先の電車は走れないのだそうだ。だから、鳥羽発の電車がすべて停止状態にある。こりゃ長期戦だと思いつつ、いつ電車が来ても乗り込めるようにホームで待つことにした。


沖縄の娘と連絡を取ると、島から那覇はOK、那覇から大阪も運航している。こちらはどうなるか分からないから、最悪の場合は大阪空港に行けないだろうと。事態に変化があれば連絡しあうとした。また、山道でも経験した、「楽観論」と「悲観論」の戦いが頭ので始まることになった。



ここからの状況を、つぶやき風にまとめてみるとこうなる。

      • ホームで

これは長期戦だなと、売店で飲み物とパンを買っておく。
人が少ないのが、救いだ。
これがホームいっぱいに溢れている状態なら、冷静さを保ちにくい。
しばらくして、折り返し特急として名古屋行きがホームに着く。
なかなか発車できないようだ。
かなり待たされて、名古屋行きの電車が動いた。
空っぽの線路が残る。
・・・・・・・・
案内があって、上本町行きの快速が折り返すことに。
どのくらい待ったろうか、やっと大阪に向けて歩みを進める。

      • 車中

どれくらいで、上本町に着くのだろうか。
車掌に聞いても、まったく分からないと。
途中駅で20分の遅れとのアナウンス。で、何時に着くのだろう?
あと数駅で終点の上本町。
ぎりぎりで空港行きのバスに間に合うかも。

5分ある。バス乗り場を探してダッシュ。トイレもしたい。
関空行きバスを見つけた。伊丹行きは?と聞く。2階。
またダッシュ
間に合った。トイレも済ますことができた。
ホッしてシートに身体を沈める。乗客は、二人。
運転手さんに、大阪も揺れました?と聞く。

      • 大阪空港

到着ボードを見ると、東京より東からの便はすべて「欠航」。
沖縄便は、偏西風に押されてだろう、予定より5分早い。
テレビから震災のニュースが流れている。
津波警報が日本全体を覆ってる。
こりゃひどそうだ。
だが、被災地域の全体像が把握できない。

そうだ、これからどこに夕食を食べに行こうか。
梅田のたこ焼き屋がイイなって言うだろうな。
・・・・・・
手荷物のターンテーブルが動き出したようだ。



そろそろ出口ゲートに娘の顔が見えるでしょう。


この日から今日まで、半月余りが過ぎた。未だに、被災地から悲鳴の声が消えない。
日本中を「楽観論」と「悲観論」が、嵐のように吹き抜けている。